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代表の西堂路(にしどうじ)です。
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ご参加を検討されている方は、ぜひ最後までお読みいただきご検討ください。
私は、会社員を15年勤めてから、あることをきっかけに退職し、今に至りました。
ここでは、スポーツを仕事にするまでの経緯をご紹介いたします。これからイベントに参加する方は、どのような人間が主催しているかご理解いただけるかと思います。また、将来、スポーツを仕事にしたいと考えている方は少しは参考になるかもしれませんので、ぜひお読みください。
私は、神奈川県横浜市で生まれ、小学校ではサッカー部へ
中学、高校ではバレーボール部に入部していました。
小学校3年生のときに転校し、5年生~6年生の2年間、学校のサッカー部に入りました。友達がみんなサッカー部だったので、なんとなく5年生からサッカー部に入ったのですが、友達はみんな低学年からだったので、練習についていくのがやっとでした。
そして、ぎりぎりAチームに入れるレベルで、足もそれほど速くなかったので、
本当に苦労したことを覚えています。
中学と高校では、これまた友達に誘われてバレー部に入部しました。
高校では、神奈川県でベスト8となり、関東大会に出場したのがよい思い出です。
そして、一浪して都内の理系大学に進み、IT系の会社に就職しました。
このとき、「普通の会社員になるのか」と父に言われたことを今でも覚えています。
父は、自営業で機械の修理をおこなっているのですが、おそらく、私が会社員には向いていないと思ったのでしょう。
この言葉が社会人1年目からずっと頭にありました。
そして夜勤を経験したり、日々月日が流れていきました。
社会人3年目くらいになると、いろいろと会社のことがわかってくると、
「何か、違う」と感じはじめました。会社員の方でしたら誰だって思うことです。
そして、会社勤めをしながら、本を読んで仕事について考えたり、セミナーに行って会社以外の方と接したり、自分探しの旅をはじめたのが、入社して5年くらいたったころでした。
日々なんとなくモヤモヤした気持ちがありながら、
社会人生活を送っていました。ただ、このときアンテナをはっていたことを覚えています。
自分には何ができるのだろうか?
そして、社会人9年目の2006年の夏に会社の先輩から、
「来年、神奈川県ではじめてのフルマラソンがあるけど一緒に走らないか?」
と誘われたのです。
これがすべてのはじまりです。
42.195キロも走るフルマラソンなんて、まったく想像がつきませんでした。
運動は好きでしたが、球技経験者にとっては、走る=試合に負けて走らされる
というイメージがあるものです。
それでも、せっかくの誘いだったので、自分を見つめなおす上でよい機会と思い、
エントリーすることにしました。
そして、半年間トレーニングを続け、2007年3月に開催された
第1回湘南国際マラソンを無事完走できました。
正確には、36キロ地点で歩いてしまい、
完走(走り切る)することはできませんでしたが、3時間36分でゴールすることができました。
余談ですが、誘ってくれた先輩は、出走することはなく、
私1人で参加しました。よくあるパターンですね。
走っている最中は、本当につらくてもう二度と走るもんかと思っていましたが、
徐々に日にちが経つにつれて、気持ちがかわってきました。
「本格的に学んでみたい」
何か、ランニングに関して講座のようなものはないかとネットで検索したところ、
「ジョギングインストラクター」というものがあったので、2期生として受講しました。
講座では、基本的なことから講座の運営に至るまで、学びました。
講座の運営会社は、各地でジョギング教室を行っていたので、受講終了後、
「教室で学ばしてほしい」と志願しました。
そうしたところ、代表の方から、「教室をやってみろ」とのこと。
机上では、走り方、講座の運営方法などを学びましたが、すぐに実践までさせていただけたのが、たいへん勉強になりました。
月に2回ほど1年くらい、教室を担当させていただいたころ、今度は、「自分でやってみたい」と思うようになり、自分の住んでいた鎌倉でジョギング教室をはじめました。
下記は、2009年12月12日に開催した最初の鎌倉ジョギング教室の参加者です。
右写真の赤いのが私です。参加者と言っても、全員知り合いで、左から、知人、実父、会社の後輩、お店のご夫婦でした。今でもこのときのことを忘れません。私の原点です。
左から、知人、実父、会社員時代の後輩、そして
お店のご夫婦
いちばん右が私
ジョギングインストラクターを取得して、ある程度実践で学ばせていただいたわけですが、
さて、どうやって教室をやろうか。
人が集まらない。当たり前ですよね。誰も私のことなど知らないわけですからね。
何でもそうですが、0から1にすることがとてもたいへんなところです。
最初はチラシを配ったり、親や会社の後輩などに来てもらったり、いろいろ試しながら、
少しずつ人が集まるようになりました。
この時期は、まだ会社員として働いていたので、週末だけ教室をおこなっていました。
このころから、頭の中は、
「教室をどうやって運営していったらよいのか」を常に考えていました。
もちろん、会社では仕事に専念していましたが、帰宅するといろいろと勉強をしていました。
そして、安定的にお客さんが集まるようになりはじめたころ、
インストラクターでお世話になっている代表の方から、
「ランステの店長をさがしているんだけどどうだ?」
とのこと。
ランステとは、ランナーがシャワーを浴びたり荷物を置いたりする施設で、
一般にランニングステーションを略して、ランステと呼ばれています。
トレーニング機材やプールがないスポーツジムが小さくなったイメージです。
そして、即答「やります」と。
これが、会社を辞めるきっかけとなりました。
都内のランニングステーション施設で、店長として1年間勤めました。
その間、イベントを開催したりして、前年度を上回る実績を作り、日々取り組んでいました。
ところが、1年ほどすぎて、契約解除となったのです。
急にオーナーの経営方針がかわったのです。
このころは自分での事業も並行しておこなっていたので、それほどあわてませんでした。
そして、店長として売上管理や収支計算などを学ぶことができたことは今でも大いに役にたっていて、よい機会をいただけたと思っています。
個人事業として、事業を営んでいましたが、
2013年の10月に交流会で知り合った中小企業診断士の方から、創業補助金というものがあることを聞いて、申請だけしてみることにしました。
そうしたところ、ご協力もあって、採択されたのです。
採択されたからには、条件として個人事業の方は法人成りにする必要があったので、
これを機会に会社を設立しました。
それが、2014年4月でした。
それからは、いろいろな人と出会うことで新しいビジネスに取り組むことになりました。
例えば、スポーツを通じて、大手旅行会社様と地域活性化事業に取り組んだり、
イベント会社と協賛でイベントをおこなったり・・・・・。
小っちゃい、ジョギング教室からスタートしたわけですが、今では当初は考えもしなかった仕事をさせていただいています。
これは、私の力ではなく、沢山のスタッフとお客さんに恵まれた結果です。
上記が会社を設立するまでの経緯です。
ここには、書けない苦労や楽しい話は多々経験していますが、省略するとこのような感じです。
ターニングポイントは下記の3つでした。
私は、大手ビッグクラブでの仕事をしたことはありませんし、スポーツでトップレベルの実力もありません。
フルマラソンは、いわゆる3時間を切るサブスリーランナーではありますが、私より早いランナーはたくさんいらっしゃいます。
でも、私は好きなスポーツを生業として生活でできています。
もちろん、スポーツ業界に限った話ではありません。
自分で好きなことで仕事にしている方は、たくさんいらっしゃいますし、みなさん充実した毎日を送っているはずです。
私は、会社員時代は、今ほど充実していませんでした。
決して会社員を否定するわけではありませんが、私には向いていなかっただけです。
よく知人に話すのですが、
「今の10倍給料払うから、うちの社員になってくれないか」とオファーをいただいたとしましょう。
みなさんだったら、どうしますか?
年収400万だったら、年収4000万円ですよ!!
数字だけみたら魅力的ですよね。
それだけ払うということは、それなりのことが期待されるわけですが、私はそれでも、その会社にはいきません。
※そんなオファーをいただけるような人間をめざしていますが・・・。
それは、なぜか?
もう、お金では買えないものを得てしまっているからです。
お金では買えないものとは、「充実感、達成感、満足感」を得てしまっているからです。
2018年4月からは、栃木県壬生町で地域おこし協力隊として、スポーツで地域創生の仕事をしています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
トレRUN道!!